桐島聡の逮捕は時効ではないの?鎌倉市内の病院はどこ?逮捕の経緯を調査

2024年1月26日、警視庁公安部は、1974年から1975年にかけて起きた連続企業爆破事件の重要指名手配犯で、「東アジア反日武装戦線」のメンバーの桐島聡容疑者とみられる男の身柄を確保したと発表したました。


男は神奈川県鎌倉市内の病院に入院しており、自ら「桐島聡」と名乗っていたといいます。

桐島容疑者は、1975年4月18日に東京・銀座の韓国産業経済研究所の入り口ドアに手製爆弾を仕掛け、翌19日午前1時頃に爆発させた疑いで全国に指名手配されていました。

桐島聡容疑者らは、1974年8月~75年5月、三菱重工など旧財閥系やゼネコンなど海外進出する日本企業を標的に起こした事件をおこし、計12事件で8人が死亡し、多くの重軽傷者が出ました。


その後、桐島容疑者は一度も逮捕されることなく、約50年間にわたって逃亡を続けており、桐島容疑者は警察庁が指定する重要指名手配犯として、長年顔写真入りのポスターやチラシが掲示されていました。

桐島容疑者の逮捕には、多くの人々が驚きの声が上がっていましたが、一方で「桐島容疑者の逮捕は時効ではないのか?」という疑問もあります。

桐島聡容疑者の逮捕は時効ではないの?


桐島容疑者が犯したとされる事件は、1975年に発生したものであり、一般的に、刑事事件には時効があり、一定期間が経過すると、犯人を処罰することができなくなります。
では、桐島容疑者の場合はどうなのでしょうか?

桐島容疑者が犯したとされる事件は、爆発物取締罰則違反と殺人未遂の罪に問われます。

爆発物取締罰則違反の時効は、犯行から15年。殺人未遂の時効は、犯行から25年です。
したがって、桐島容疑者の事件には、2000年に時効が成立したと考えられます。

しかし、実際には、桐島容疑者の事件には時効が成立していません。
その理由は、2000年に刑事訴訟法が改正されたことにあります。

この改正により、重要指名手配犯の時効は、逮捕されるまで停止することになりました。

つまり、桐島容疑者は、2000年以降も時効が進まず、逮捕されるまで処罰の対象となり続けたのです。

この改正は、1995年に発生した地下鉄サリン事件の犯人の一人である平田信容疑者の逃亡に対応するために行われたものです。

平田容疑者は、2000年に時効が成立する前に逮捕されたが、その後も逃亡を続けていた他の犯人に対しても、時効を停止することで、法の正義を守ろうとしました。
この改正は、桐島容疑者の事件にも適用されます。

桐島容疑者の逮捕は、約50年間の逃亡劇に終止符を打ったものです。

桐島容疑者は、自分の名前で死にたいという思いから、病院で本名を名乗ったといいます。

桐島容疑者の動機や心境については、まだ不明な点が多いが、警察は、逮捕の経緯や背景について、詳細な捜査を行っているといいます。

桐島聡が入院していた病院はどこ?

桐島聡容疑者が入院していた病院は、神奈川県鎌倉市内の「湘南鎌倉総合病院」12というところです。桐島容疑者は、末期がんで偽名で入院していましたが、自分の本名を名乗り出たということです。

桐島聡容疑者は、警視庁公安部に身柄を確保され、事件の詳細について事情を聞かれています。

桐島容疑者の逮捕は、日本の刑事司法史に残る出来事です。

SNSでは、桐島聡容疑者の逮捕に驚きの声があがっています。

桐島容疑者が犯したとされる事件は、日本の社会に大きな衝撃を与えたもので、桐島容疑者の裁判は、事件の真相や責任の所在を明らかにするとともに、時代の変化や社会の問題にも目を向ける機会となるでしょう。

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