連日報道されているジャニー喜多川氏による性加害問題をめぐり、元ジャニーズJr.の木村伸一氏が実名・顔出しで雑誌の取材に応じました。
木村伸一氏は、自身がジャニー喜多川氏から受けた被害とジャニーズ事務所退所後の苦悩の日々を明かしています。
話題になっているのが、木村伸一氏がジャニー喜多川氏から「V6に入ってよ」などと声をかけられていたということです・木村伸一氏は実際に加入することなくジャニーズ事務所を退所し、21歳の頃に芸能界から引退しています。
もし木村伸一氏がV6に入っていれば、現在のV6のメンバーは変わっていあたもしれませんが、V6の誰が木村伸一氏の代わりに加入したのでしょうか?
木村伸一氏がジャニー喜多川氏から受けた性加害
木村伸一さんは、高校3年生の3学期からジャニーズ事務所に所属しており、1995年1月8日に入所し、関西ジャニーズJr.」のメンバーとして活躍していました。
高校卒業後は上京し、専門学校に通いながら、ジャニーズのダンスレッスンを受けていており、アルバイトもしながらの生活だったそうなので、本当に寝ている暇もないくらい忙しい日々だったようです
当時、木村伸一さんは「第2回ジャニーズ予備校」に合格するために、「天才・たけしの元気がでるテレビ!」に出演されていましたが、木村伸一氏はジャニー喜多川さんのお気に入りだったこともあり、番組はオーディションの途中でありながら、1995年雑誌の『Myojo』にて、「第2回 ジャニーズ予備校の合格者」として紹介されています。
木村伸一氏がジャニー喜多川氏からの性加害を受けたのは雑誌「Myojo」の撮影があった日の夜でした。
「寝ていると、下半身にグチュグチュした感触があった。童貞でしたが、舐められているとわかりました。掛け布団の下をのぞくと、ジャニーさんと目が合ったので、急いで布団を戻した。どうしようと思ったが抵抗することは選ばなかった。イカないと終わらないと思った。」
ことが終わるとジャニー氏は部屋を出て行き、木村氏はすぐにシャワーで身体を洗い流し、翌日、枕元には2万円が置いてあったようです。
阪神大震災で木村氏の自宅は半壊し、芸能活動についても悩んだが、苦しい家計のこともあり、覚悟を決めて1カ月後、再び上京しましたが、ジャニー喜多川氏は木村氏に
「バレーボールできる?」
と聞くと、木村伸一氏は運動神経に自信があったのでハイと答えました。
ジャニー喜多川氏は、「じゃあ、V6に入ってよ」と言って、デビュー記者会見の日付も伝えられたようです。
しかし、その次の日の夜、木村伸一氏はまたしてもジャニー喜多川氏から性被害を受けてしまい、木村伸一氏が「帰らせてください」と一度大阪に戻ることを決めるとV6の話はなくなっていました。
ジャニー喜多川氏からの性加害を受けジャニー喜多川氏からの性加害を拒絶したことにより、V6のメンバー候補から外されてしまったそうです。
その後、1995年9月に事務所を退所し、21歳で芸能界を引退されますが、ジャニーズにいた期間も9ヶ月しかありませんでした。
その後、木村伸一氏は芸能界を引退しましたが、自殺願望が湧くようになりました。
「なんで自分は耐えなかったのか。拒んだから、こんな人生なんだと」と、ジャニー喜多川氏の残した傷に今も苦しんでいます。
木村伸一氏の代わりにV6に入ったメンバーは?
木村伸一氏はV6幻の7人目のメンバーだったようです。
V6はジャニー喜多川氏がバレーの『V』とメンバーの人数『6』でいけると考えたのではないかと言われています。
<トニセン(年上メンバー)>
坂本昌行
井上快彦
長野博
<カミセン(年下メンバー)>
三宅健
森田剛
岡田准一
でしたが、年齢からしてもカミセン側に所属すると思われます。
同期には、
岡田准一
櫻井翔
滝沢秀明
などの超有名なスターがおり、V6の最終選考にまで残っていたのであれば、岡田准一さんと競っていたことになるかもしれません。
しかし、ファンの間では別のメンバーで数名V6メンバーの候補として名前挙がってたようですが、そもそも木村伸一さんの名前が候補として挙がっていなかったとも言われています。
もし木村伸一氏がV6に加入していたのであれば、グループ名もV7だったかもしれません。
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sakura
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